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成蹊学園サッカー部抄史

はじめに

 私は成蹊小学校に入学し、小学校五年の時のクラブ活動でサッカー部に入部以来、大学を昭和63年に卒業するまで、そのすべての課外活動をサッカー部(蹴球部)にて過ごし、特に大学四年生時には「関東大学リーグ二部昇格」という創部以来初めてとなる貴重な経験をすることが出来ました。

 今回「成蹊会誌」への寄稿にあたっては、その関東大学リーグ二部昇格当時の様子を熱く語ってみようかとも考えましたが、現在、私自身が成蹊学園サッカー部OB会事務局の一員として学園サッカー部全体の発展を目指した活動を行っていることもあり、過去の先輩方がどのような時代や環境で学園サッカー部を歩まれ、そして今のサッカー部がどのような状況にあるのか、簡単に振り返りたいと思います。

サッカー部の誕生

 「蹴球部は以前は運動部の一部でありましたが、本年四月から不言会内に純然たる一つの蹴球部として置かれる事になりました」
この様な記述が大正7年発刊の「こみち 第二文集」にあります。サッカー部はこの大正7年(1918年)4月に創立されました。

 当時の「こみち」には、サッカーそのものが英国の国技として盛んに行われ、足ばかりでなく全身の運動になること、また多人数を要し相互の一致や臨機応変な対応を取らなければならないという競技の性質上、身体上のみならず精神を鍛える上でも優秀で且つ現代的な遊戯であること等が紹介されています。

 大正14年に旧制高校が設立され、昭和5年から東京蹴球カレッジリーグ第四部へ加盟し蹴球界へ本格進出。昭和13年に行われた関東高等リーグで優勝を果たす等、蹴球部はその歴史と共に着実な前進を続けていきました。
 しかし、昭和22年、終戦後復刊された「こみち」に、「同好会的な集合であった蹴球部も、他の名声ある運動部と共に数え上げられて活動し得る様になったので....」との記載があります。
 また、従来精神修養の道場としての運動部精神という考え方から、もっと陽気にサッカーを楽しみ当然の如く勝利を目指していくという活動の方向性の基礎が固められたのもこの頃であり、現在のような不自由無い環境でサッカーに打ち込む基盤となる組織が整備されるまでには、かなりの月日が費やされたことになります。

 この当時の蹴球部報には毎年の様に、不甲斐の無い成績に対する嘆きや反省、部員に対する叱咤激励が記されており、この時代に生きた諸先輩方の熱い思いや憤り、運営をしていく事に対する苦労等が強く伝わってきます。

輝かしき栄光と今

 成蹊学園サッカー部の中で輝かしき栄光と言えば昭和47年の全国中学校大会で第三位になったことではないでしょうか。当時、小学生だった私も毎日の様に母校の勝利を伝える新聞に目を引かれた記憶があります。
 その後、雲の上の人の様な当時の先輩方と親しくさせて頂けるようになったことも、世代を問わず一体となって生き続けているサッカー部の伝統が生み出す良さなのではないかと思います。
 また、高校サッカー部では、昭和54年に全国高校選手権都大会でベスト16に進出し、その年圧倒的な強さで全国制覇を果たした帝京高校と対戦をしています。

 大学蹴球部では、昭和44年に秋季リーグ戦関東大会で準優勝を果たした後、昭和62年の関東大会で優勝し関東二部リーグ入替戦で勝利し、創部以来初めてとなる関東リーグへの昇格を果たしました。
入替戦が行われた西が丘サッカー場に当時びっくりする程のOBにお集まり頂いたことを記憶しています。
 勝利の瞬間、私たちと同じ様に涙を流し昇格を喜んでくれる先輩方を見て、現役生だけが勝利の為に闘っているのではなく、先輩方が築き上げ、守り抜いてきた成蹊蹴球部の看板を背負っているのだということに改めて気付かされた思い出があります。

 大学蹴球部は関東二部リーグで二シーズンを過ごした後、東京都リーグに降格し現在は二部リーグに甘んじていますが、Jリーグへ二選手を輩出する等、技術・戦術的には当時を上回るレベルに達しています。高校サッカー部は、昨年秋の新人戦で地区優勝を果たし、関東大会東京都予選への出場権を獲得。大学と同様、OBが指導に当たっている中学サッカー部は東京都大会への復帰を目標に数多くの対外試合を消化し、東京都選抜の最終候補にまで残る選手を輩出する等、一環教育の基礎となる重要な機能を果たしています。

 中学から大学まで各年代とも期待を抱かせる素材を抱えており、これからの展開が非常に楽しみになってきています。しかしながら、日本サッカー界全体のレベルアップが若年層から図られていることもありライバルチームと僅差の実力を持ちながら、技術や組織戦術において相手チームを上回りながらも勝利に恵まれないというのが、現代サッカーの難しさとなっているようです。

さいごに

 1993年のJリーグ開幕。1998年の日本代表ワールドカップ初出場。海外チームへの移籍を果たす日本人選手。2002年ワールドカップの日本開催。それらの情報を発信するマルチメディアの充実等、現代の日本サッカー界をめぐる環境は急速な進展を遂げています。

 今回の振り返りを通じて、「一つのボールを相手ゴールに一つでも多く蹴り込んだ方が勝ちという極めて単純な原理の上に複雑なチームプレーが成り立っているサッカーという競技」の虜になり、体力の限界と戦いながら熱い毎日を過ごして来たという経験は、それぞれが過ごした時代や環境に左右されることなく、世代を超えてわかちあえる共通の事実だと強く認識することが出来ました。

 このような歴史を振り返っていく上では、成蹊学園の代表として勝利という結果を追求していく運動部の宿命として、とかく「勝利=栄光」というものにスポットが当てられ語られがちです。確かに、現役学生が果たす勝利こそが、学園サッカー部関係者相互の、新たな結束・より強固なつながりを生み出す近道であることは事実ですが、OBとしてこれから新たな歴史を刻もうとする現役生を暖かく見守り、時には手を差し伸べ、それを受け入れる現役生はOBという存在のありがたさを肌で感じながらプレーする。その様な、世代を超えた心のコミュニケーションが維持され、醸成され続けていくことこそが、本当の隆盛や栄光を語るに相応しい学園サッカー部の在り方なのではないでしょうか。

 長きに亘る学園サッカー部の歴史の礎を創り上げて頂いた先輩方に心から感謝をしながら…

以 上

(文責:大S63 小槇 一郎)

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